魚姫の国から
――デンマーク教育事情
第11回 コペンハーゲンの人魚姫の像

教師をめざす学生たちは


子どもと教育(あゆみ出版発行)
1999年2月号掲載

教育実習は1年生から

前回紹介した教師養成学校で、聞いた説明では、教育実習は、1年生で4週間、2年生で4週間、3年生で7週間、4年生で5週間やるそうだ。理論を勉強しては実習をやり、体験した問題を話し合いながらまた理論の勉強、というくり返し。3年生の終わりに実習の評価をつけるのだが、ここで落第すると、教師になれない。実習の期間は学校によって少しちがうようで、別の教師養成学校の学生は、1年生で7週間もの実習をしていた(1回め1週間、2回め4週間、3回め2週間)。「日本では4年生の時に4週間実習するだけ」と話すと、「それだけで、実際に教師になったときに、自信を持って生徒に対することができるの?こわくない?」と驚かれたのを思い出す。

また、先生の「私は学年がはじまる前にカリキュラムをつくることはしません。教育は、教師と生徒の相互の関係で成り立つものだから、その年の学生たちと出会ってから、彼らとの話し合いを通じて、なにを、どのように学んでいくか、考えます」ということばも、印象深かった。

教える側は深い知識を

午後は、まず宗教を専門とする学生対象の北欧神話の授業に出た。きれぎれの原典を直接訳したテキストを読んで、その内容について討議する、というもの。

小学校2年生でやる内容についての授業という話だったので、「こんなにむずかしいことを2年生が習うのですか」と質問すると、「もちろん子どもにはこんなことは教えません。でも、教える側は、正確な知識がないと、本や教材を選ぶ時にどれがよいのか見わけることができないので、深く知ることが必要なのです。」という答えが返ってきた。決められた教科書で、決められたことを教える日本の先生の場合は、こんなに勉強しなくても授業ができてしまうのかもしれない、と思った。

学期の最後のスタディーツァーでは、ムスリムの学校や、イスラム文化センター、ユダヤ教の集会、仏教センター、カトリック教会、モルモン教会、考古学センターなど、さまざまなところを見学するという。

宗教という科目が、自分たちの文化の根っこを知ったり、他の異なった文化や考え方を知るのに生かされていると感じた。最近増えているムスリムの移民の人たちを理解し、受け入れるためにも、大切なことだろう。

表現したい気持ちを大切に

つぎは、専門科目の英語の授業。作文がテーマ。

前の時間に、ひとり言を言いながら作文し、そのようすをテープにとる、という作業をしたという。それぞれのテープと、作品の朗読とを聞いて、感想を言ったり、書く時になにを感じたか、どんなふうに書いたか、話し合うことからはじまった。

つぎは、先生が題を出し、3分間で文を書き、隣どうし見せ合って批評し合う(この時間は会話もすべて英語)。自分の心の中をさらけだすようなことを、抵抗なくやっている。学生どうしが信頼し合っているのを感じる。

学生の話を聞きながら、先生が「作文というのはほんとうに個人的で、繊細で、それぞれの内面に深くかかわることだということがよくわかったでしょう」という。

そのことばを聞いて、英語の技能の上達よりも、作文を書く子どもの心のうちを理解できるようになることが、この授業の目的なのかもしれない、と感じた。

先生は今度はOHPでイギリスの教師向け教材からとった英語の作文例を映した。「これは、日本人の生徒が書いた作文です」ぱっと見て顔が熱くなった。時制も、語順も、冠詞も、つづりもめちゃくちゃ。日本語を、和英辞典を使ってそのまま横にしたような文だ。日本語を知らない人が読んだら、なにをいいたいのかまるでわからないだろう。

つぎに、「ふつうの教師なら、赤ペンをとりだして、全部の文章をチェックするでしょう。でも、この教師はちがいました」といって、この教師が生徒に向けて書いた手紙を映す。イギリスと日本の違いに興味を示し、生徒に対して質問するなかで、単語や文法のまちがいをさりげなく正している。

最後に、生徒がその手紙に答えて書いた文章。そして、先生はこう結んだ

「もちろんまだまちがいは多いけれど、とても進歩しているでしょう。これなら、彼がなにをいいたいのか、どう感じたのかがわかりますね。いちばん大切なのは、生徒が、先生に自分の思いをもっとよく伝えたい、という意欲を持ったことです。もし、真っ赤に訂正された答案を受け取ったとしたら、この生徒は、その紙をぽいと捨ててしまって、もう 2度と文を書こうとしなかったでしょう」

この、まちがいをいちいち正して生徒の意欲を奪うことをしないということと、一つひとつのことばの正確さよりも、表現したいという気持ちを大切にすることは、子どもたちの通った公立学校で、よく感じたことだった。

自分の子どもとの毎日を思い浮かべてみても、まちがいをすぐに正さないで、自分で気づくまで待つのには、たいへんな忍耐がいる。子どもが自ら学んでいくことをじゃませず、しかも必要な時に適切な手助けをするのは、とてもむずかしい。けれど、そういうときを経て、自らの興味から学んでいく子どもたちを目にできれば、子どものそばにいる大人として、これ以上のよろこびはないように思う。

学生といっしょにコーヒーとケーキをいただき、感想などを話したところで帰りの電車の時間となった。

あたたかい雰囲気に包まれて、たのしい一日だった。


伊藤美好(いとう みよし)

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