魚姫の国から
――デンマーク教育事情
第6回 コペンハーゲンの人魚姫の像

話し合いの姿勢の差


子どもと教育(あゆみ出版発行)
1998年9月号掲載

Askov-Malt幼稚園、入学準備クラスで

幼稚園クラスは無料

8月には、新しい学年が始まる。それまで保育園に行っていた下の娘も、兄姉と同じ学校の幼稚園クラスに通う事になった。

幼稚園クラスは義務教育には含まれないのだが、ほぼ9割の子どもたちが通っている。

幼稚園クラスでは、文字や計算などは教えない。1年かけて学校生活への準備をするという。

親にとってうれしいのは、保育園は有料(私は月2万円近く払っていた)だが、公立学校の幼稚園クラスは無料だということだ。

8月は、外で過ごすことが多かった。学校の農園から大麦や小麦、ライ麦などをとってきて比べたり、麦の粒をひいて粉にしてみたりした。クラスに農家の子どもがいるので、その子の家に行って麦の刈入れ作業を見たり、農場の動物とあそんだりもした。粉をこねてパンを焼き、みんなで食べたり、家に持ち帰ったりもした。

「聞く」授業

9月はじめの朝。教室で、先生が声をひそめて子どもたちに言った。「きょうはゲームをするよ」。子どもたちの目が先生に集中する。「1分間、目を閉じてみて。どんな音が聞こえてくるかな」。みんな目を閉じる。

1分たって、「何の音が聞こえた?」との問いに、「車!」「トラックだよ」「鳥の声」などの答えが返ってくる。「じゃ、もう一度。もっとちがう音も聞こえるかな」。息をひそめて耳をすます。「だれかが足をばたばたしてた」「息をする音」「心臓がどきどきする音」…

「今度は、みんなが目を閉じている間、私が3つの音をたてるから、なんの音か当ててね」

「ボールの音」「足踏み」「はさみ!」

「じゃ、問題を出したい人は?」

いっせいに手があがる。そのあとは、子供たちがつぎつぎに出題者になってゲームを続けた。 よく聞かないと答えがわからないから、どの子もいっしょうけんめい耳をすます。問題を出した子は、手を上げる友だちを順にあてていく。そのときのちょっと緊張した、誇らしげな顔。あてられないのにしゃべろうとする子がいると、先生はその子に小声で「シイ−ッ」と言って、あてられた子の方を見、「聞こうね」という目をする。

17人全員に発言するチャンスがあり、そのたびに「自分のいうことをみんなが聞いてくれている」といううれしさが伝わってくる。

先生はひと言も「静かに」といわなかったが、休み時間のチャイムが鳴って外に飛び出していくまでの45分間、子どもたちはわくわくしながら静かなときをすごした。

この月は、部屋の中にかくした時計を音をたよりに捜したり、友達が持ってきたおもちゃを音を聞いて当てたり、同じ音をもつ言葉をさがしたり、「聞く」ことを中心に授業が展開していった。

「お互いに聞き合うことが大切にされている」と感じながら、それまでに見てきた大人の話し合いの場面を思い出した。

とことん意見を出し合って

フォルケホイスコーレでも、学校でも、保育園でも、話し合いの機会は多かった。とりたてて話し合いのために集まったわけではなくても、だれかが意見をいいはじめると、まわりの人はおしゃべりをやめて耳をかたむける。反対意見の人が手を上げる。集まりの中から1人、議長役があらわれて、指名をする。

指名されないのに話しはじめることはない。相手の意見が受け入れがたいものであっても、手を上げ下げしたり、振りまわしたりしながら、発言が終るのを待つ。私語をする人には、年齢も立場も関係なく、その近くにいる人が、小声で「シッ」と言う。と、すっと口をつぐむ。

とことんまで意見を出し合い、みんなの納得できる地点をさがそうとする。それはみごとなもので、これが民主主義というものか、と目をみはった。上の息子によれば、6年生のクラスでも、みんな人の発言をよく聞いている、ということだった。

幼稚園クラスのこどもたちが、手を上げたり、指名したりするときに、ちょっと誇らしげに見えたのには、大人たちと同じことをやっている、といううれしさもあったのかもしれない。

また、大人が子どもに対する時をみてみると、子どもの話をさえぎらない。最後まで聞いてから、大人に答えるのと同じ調子でていねいに答えている。

ふだん自分の話をきちんと聞いてもらっているからこそ、子どもたちも、ほかの人の話を聞くことができるのだろう。


伊藤美好(いとう みよし)

◇ あゆみ出版の了解を得て、インターネットに公開しています。

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