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親って何だろう?


井上祐子

 親にとって子どもは必需品です。何故ならば、子どもなくして親は親たりえないからです。かくして、親は「子どものために」という大義名分を得て、子どもにさまざまな働きかけをしていきます。しかしここで、肝に銘じておくべきことは、「子ども」は、私たちを親たらしめるために存在するのではないと云うことです。「子ども」は、まず彼ら自身の為に存在しているのです。

 親は子どもに夢を託します。それは親のサガとでも云うべきものかも知れません。しかし子どもの側からしたら、どれだけ「大きなお世話」をやいてしまっていることか…。

 我が家の4人の「子ども」は、14才、12才、7才、4才。末っ子で長女は幼稚園児です。上から3人の男の子たちは全員、学校へは行っていません。初めから今のような生き方をしていたわけではありません。上の二人に関しては、学校生活を何年か送ってきて、様々なきっかけがあり、行かなくなりました。

 当初、高校ぐらいまでは行っておいたほうがいいのでは、と手を変え品を変えしてなんとかもどそうとしていました。しかし、子どもと話をしているうちに、今この子たちは学校を必要としていないんだ、ということが伝わってきました。そして、私たち両親にそんな自分たちを理解してもらいたいのだ。そのことを、親である私たちに求めているんだということに気づきました。
 子どもは、どんな親を求めているのでしょうか?子どもは、真に自分に共感してくれる大人を必要とするのではないでしょうか。それは、親ではないかも知れません。まだ小さいうちは生きるために食べることや、安心して眠れる場所を求めるかも知れません。それらを満たしてやる大人が親である場合が多いということでしょう。親に共感を求めるのも、一番身近な大人だからかも知れません。

 ひるがえって、私たち親のほうはどうでしょう?
子どもはこうあるべきだ。それがあなたのためなのよ。あなたのために私だって苦しい思いをしているんだから、あなただってがまんしなくちゃ。がんばらなくっちゃ・・・。でもよく考えてみてください。これは、誰が求めていることなのか。親である私たちが、いい親であらんがために自分自身求めていることでしょう?

 自分の求めにそわない我が子を否定し、我が子に絶望し、それも、我が子が本当はどうありたいのかなど、まったく考えもせずに、そんな覚えはありませんか?

 子どもにとって、自分の有り様を否定されてしまう、しかも幼い頃から最も身近にいる親から、このことがどれほど辛いことか、自分の身に置き換えてみればよくわかります。子どもは今度は、自分で自分を否定していきます。親が認めてくれない自分自身を嫌いになることで、少しでも親に容認される存在になろうとしているのです。こんな悲しいことってあるんでしょうか?良いも悪いも一切合財ぜんぶまとめて、それでもこんな自分が好き、そうなれたら素敵だなって思います。人間は、自分を好きになれたとき、そんな自分をこの世にあらしめてくれた親に「生んでくれてありがとう」と言えるんでしょうね。

 親が我が子に望みを託すのは、もう宿命といっていいのかも知れません。かくいう私もそうです。だから、親ってなんて手前勝手な生き物なんだろう、ということを自分で自覚しておくことぐらいしかできないけれど、それでずいぶん親も子も救われるのではないでしょうか。


  親とは、子どもという小道具を好きなように使い、良い親たらんと欲する己の欲望を満たす生き物である。


1997年 2月



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