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「17歳で母親になって」


「子どもの人権連」の機関紙『いんふぉめーしょん』99年4月号に掲載された文章です。筆者と子どもの人権連の了承を得て、転載いたします。
子どもの人権連: 東京都千代田区一ツ橋2−6−2 (tel&fax=03-3265-2197)
「17歳で母親になって」
日高 まき

 私は,今年結婚して,子どもができて、とても幸せな毎日を過ごしている,高校2年生の女の子です。
 高校生で結婚することにも、ましてや母親になる、ということには、たくさんの偏見があり、多くの差別を受けました。私は,高校生だから、未成年だから、というような理由で、結婚すること,親になることを否定するのは間違っていると思います。これから、このことについて,私なりの考えを体験を含めて書いていきます。

 小学生のとき、「性教育」の授業で「子どもは、どうやって生まれてくるのか」という内容のビデオを見ました。
 その後、担任の先生が「子どもが生まれる、ってことは、新しい命が生まれるってこと。つまり、新しく一緒にこの世界で生きていく仲間が生まれたってことだから、とても、うれしいこと、素晴らしいことなんだよ」と教えてくれました。
 でも、中学生になって見たビデオでは「未成年の人が子どもを産むことは、「悪い」ことである。よって、学校は「退学」。働く場所もなく、人目を避け、隠れて暮らさなくてはならない。つまり、子どもを産むと、本人も子どもも「不幸」になる」という内容でした。
 先生たちも「未成年が子どもを産む事は「悪」であり、とても「不潔」なことだ」と教えていました。
 なぜ、こんなにも「子ども」についての教え方、考え方が違うのか、私は、先生や大人が「生徒(子ども)」が子どもを産むことを恐れているからだと思います。

 たしかに「未成年」で子どもを産むのは、とても大変なことです。まだまだ勉強しなければならないこともたくさんあるし、精神的にも、未熟なところもあります。それに、経済的な面でも、自分の分だけでなく、子どもの分もまかなうのはとても大変です。ですが、だからといって「未成年」では子どもを育てられないわけではありません。四苦八苦しながらも、がんばって、子どもと一緒に成長していくことも悪いことではないと思います。

 「子どもができた」と知った時、私も私の夫も大喜びでした。夫も、新しい自分の家族が、一緒に楽しく、幸せに暮らしていけるように、がんばって働こう!と約束し、私は、まだ学生なので、まだまだ学ばなければならないこともたくさんあるし、とてもたいへんだけど、子どもと一緒に学びながら成長していこう、学びながら、家族のために私ができること(家事など)をやっていこう、と話し合い、これから3人で幸せな家庭を築いていこう!と誓い合いました。
 とても幸せな気持ちで、子どものこと、結婚することを友達に報告しました。ところが、「何考えてんの?!まだ学生だし、未成年なのに、子どもなんて育てられるわけ無いじゃない!!早く親にバレないうちにおろしなさいよ!!」と怒られ、勝手にクラスメイトなどから集めた「子どもをおろすための費用カンパ」を渡されました。
 まさか、こんな反応が返ってくるとは思ってなかったので、とても驚きました。そして、新しい大事な「命」を簡単に「おろせ」「殺せ」と言ってしまえることに対して、簡単に「命」を殺してしまう、あまりにも無神経な精神に対して、怒りを覚えました。と同時にとても怖くなりました。

 それから、いつも「私の年齢がバレたら、また、嫌なことを言われてしまうのでは…」と思うようになり、年齢のことにコンプレックスを感じるようになってしまいました。特に、学校が怖くて、ずっと行けませんでした。「通信制」なので、大人もいるのですが、やっぱ10代の人のほうが多いので、私のような妊婦が行くと目立ってしまい、また、いやな目で見られてしまうかもしれない…、先生にもなんて言われてしまうのだろう…、といやな方向へばかり考えてしまっていました。けれど、進級手続きのため、どうしても学校へ行かなくてはならない日があり、しかたなく行きました。そこで、結婚してから初めて担任の先生に合いました。「何を言われてしまうのだろう、また、あのときのクラスメイトのようなことを言われてしまうのかしら…」と、どきどきしていたのですが、以外にも「おめでとう、がんばってね」と言ってくれて、驚いた反面、とてもうれしかったです。

 もし、「全日制」の高校へ行っていたら、担任の先生も「おめでとう」とは言ってくれなかったと思います。「全日制」では「退学」になってしまうからです。私には、なぜ、「退学」させられるのか、よく分かりません。「親になるからこそ、学ばなければならないこと、知っておかなければならないことがあるのでは?」と思うからです。たしかに、子どもを育てながら勉強することは大変だし、ほかの、子どものいない生徒たちに迷惑をかけることもあると思います。でも、「退学」にさせられることはないと思います。子どもがまだ小さい頃は、「休学」して、保育園、幼稚園に入れるようになったころ、また学校にきて,勉強すればいいのではないでしょうか。せっかく「休学制度」があるのに、なぜ、このようなときには使えないのでしょう。

 高校は「義務教育」ではありません。だから、色々な年齢の人が、勉強しにきます。だから、中には「子どもをもったお母さん」もいます。でも、いまの制度では、そのような「お母さん」は、どんなに勉強したいことがあっても、どんなにその高校が気に入っても「全日制」の高校には入れないのです。高校は、学びたい、勉強がしたい、と思っている人が集まり、勉強する場所だと私は思っています。だから、「お母さん」でも入れるべきだと、私は思うのです。授業中に子どもが騒いだら、周りの生徒たちにも、教えている先生にも迷惑がかかる、というなら「託児室」を作ればいいのではないでしょうか。「定時制」にも「通信制」にも「託児室」があるのに、なぜ「全日制」にはないのでしょう。

 私の夫の友達には、「結婚しても、子どもはいらない」という人が、たくさんいます。私は、このような考え方をする人が増えてしまった原因は、学校の「性教育」にもあると思います。子どもの頃、学校で「子どもを産むのは悪いこと、不潔なこと」と教えられ、同世代の友達が学生のうちに結婚し、子どもを産むと、退学させられていた。そんなのを見てきた人は、大人になっても、子どものことを快く受け止められる人は、少ないのではないでしょうか。ある日、誕生日がきて20歳になって、突然「子どもを産むことは、悪いことではない」なんて思える人は、少ないと私は思います。

 このような人に「なぜ、子どもがほしくないの?」と聞くと、大体の人は「めんどくさい」とか「『子ども』ってよく分からなくて怖い」という答えが返ってきます。これは、小さい頃から、大人になるまで、子どもにふれあう機会が、あまりにも少なすぎたからだと思います。

 昔、私の祖父が子どもの頃は、皆貧しくて、親はお金を稼ぐことに精一杯だったので、子どもの世話は、年上の子どもの役目だったそうです。そのため、年上の子どもが学校へ行く時も一緒につれて行き、授業を受けながら、その子どもの世話もしていたそうです。ですから、授業中に泣いたり、いたずらしたりして、なかなか授業に集中できない時も多く、本人も他の生徒も先生も大変だったそうです。でも、その中で、子どもに直接ふれあい、教科書に書いてあること以外の自然なこと、命のこと、子どものこと、人間関係のことについて、自然に学ぶことができた、と私の祖父は話してくれていました。

 今は、子どもの数も減りましたし、経済的にも安定している家庭が増え、子どもの世話は、親が出来るようになりました。それに「幼稚園」「保育園」など、小さい子どもを預かる場もでき、昔のような苦労は無くなりました。が、その反面、子どもにふれあう機会も減りました。0歳から3歳までは「家庭」で、その後6さいまでは「幼稚園」あるいは「保育園」、その後12歳までは「小学校」と、年齢ごとに振り分けられ、他の年齢の子どもに会う機会も減りました。そのため、同じぐらいの年齢の友達しかいない子も増えました。そのため、大人になって、学校という組織から出て、自分と全然違う年齢の人と会う機会が増えても、その人とは、まともな交流が出来なくなってしまっている人も今はいるそうです。

 このような状況の中では、大人が子どもをほしがらない、子どものことを怖がる人が、これからも増えていってしまうと思います。たしかに、子どもを学校のように年齢ごとに振り分け、それぞれの年齢に合った教育をしていくほうが効率もいいです。が、それでは「この世の中には色々な年齢の人がいて、その人たちと協力しあって生きている」という根本的なことを学べなくなってしまっている、分からなくなってしまっている人もいるのだと思うのです。もっと、色々な年齢の人同志が交流できる場が、もっと増やすべきだと私は思います。

 今,議論になっている「民法改正案」の中の一つに「男女の結婚年齢18歳に統一」というのが含まれています。私は、これには大反対です!!
 今は、「女子は16歳、男子は18歳」となっていて、男女で年齢が違うことは問題だと思いますが、「18歳」ではなく「16歳」で統一すべきだと私は思います。

 高校は「義務教育」ではありません。今、ほとんどの人が高校へ行っていますが、中には、自分で働いて暮らしている人もたくさんいます。親から離れ、自分一人で暮らしている人もいます。このように、大人と同じように自活していける人間が、なぜ、自分の人生(つまり、結婚)のことを他人(つまり、法律)に管理されなくてはならないのでしょう。
 もう、「義務教育」を終えた頃、つまり16歳ぐらいには、自分の人生のことぐらい考えられます。、大人は気が付いていないかもしれませんが、皆、意外と考えています。ただ、大人に比べて、まだ知らないことが多いので、頼りなく見えてしまうとは思います。でも、子どもは子どもなりに考えています。

 私は、公立中学校を卒業したのですが、3年生になって、高校受験を期に、皆「自分の将来のこと」を考えていました。、未熟で、知らないことも多くあるなか、子どもなりに、それぞれ真剣に考え、それぞれの目標に向けて、高校を選び、受験していました。中には、高校を選ばず、仕事を選んでいる人もいました。
子どもでも、子どもなりに自分の人生のことを考えています。ですから、未成年で子どもを産むことに関しても、私は私なりに考え、この人生を選びました。自分が自分らしく生きていくために、自分が幸せに生きていくために、この人生を選んだのです。この人生を選んで誰かに迷惑をかけた覚えはまったくありません。なのに、なぜ、他人(つまり、法律)に否定されなくてはならないのでしょう。
 「命」はとても大切で、とても尊いものです。でも、このように「不幸になる」「悪いこと」と教えられてしまったり、法律で規制されてしまっては、新しい「命」を大切にしようとは、思えなくなってしまいます。
学校では「命」の大切さ、等とさを教えるべきだと思うし、もっと、社会も学校も大人も先生も「新しい命」「これから一緒にこの世界で生きていく仲間」を歓迎してあげるべきだと思います。





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