パンケーキの国で 〜子供たちと見たデンマーク〜 ◆ 9

コペンハーゲンで

私の故郷の言葉こそ“母国語”

東京新聞:1998年4月7日掲載

私たちの住んでいたアパート

アスコウホイスコーレで1年あまりすごした後で、コペンハーゲン大学のアッシリア学研究所で1年間学ぶことになった。

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3人の子連れの外国人ということもあって家探しは難航した。

最終的には大学の紹介でコペンハーゲン市内のアパートを7月から半年間借りることになった。 73歳のおばあちゃまがオーストラリアにいる娘のところに遊びに行く間、自宅を貸しに出していたのだった。 四部屋と台所、バス・トイレ付きで、約75平方メートル。 入居者はほとんどが年金暮らしの高齢者だった。 難民・移民の人も多いように感じた。

信号ひとつない町から大都会へ出て来たので、とまどうことも多かった。 朝、鳥のさえずりの代わりに電車やバスの音で目が覚めること。空気が悪いこと。 夜、星が少ししか見えないこと・・・東京を思えばずっとましなのだが、悪いことはすぐ忘れてしまうものだ。

一番こたえたのは、デンマーク語で一生懸命話しかけても、「なに言ってるの」と聞き返されたり、笑われたり、英語で返事が返ってきたりすることだった。 「アスコウでなら下手なデンマーク語でも返事をしてくれたのに、都会の人は冷たい」と感じ、だんだん口からデンマーク語が出なくなっていった。

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8月になり、子供たちの新しい学校の初日。 帰ってきた上の娘に「どうだった?」と聞くと、「先生デンマーク語しゃべらないよ」と言う。 それで気がついた。私たちが1年かけて身に付けたのはアスコウの方言だったのだ。

ショックだった。 フォルケホイスコーレの先生は、語学テープを「これはコペンハーゲンなまりでよくない」と言って止め、「純正の」デンマーク語を教えてくださったが、あれはどうもアスコウ弁だったらしい。 また、子供たちが学校で先生や友達から習ってくる言葉を「テープと違う。これがほんとの発音だ」と感心していたが、実はこれは純粋のアスコウ弁だったのだ。

みんながコペンハーゲンの言葉に慣れるのに数ヶ月かかった。 「方言じゃなく、標準語を教えてくれればこんなに苦労しないですんだのに」とうらめしく思った。

でも、これは大きな間違いだった。 デンマークには「標準語」というものが存在しない。 あるのは各地の方言のみ。 辞書にも発音記号はついていない。 コペンハーゲンの言葉も方言の一つにすぎない。 だから、どの地域の人も、胸を張って「自分の言葉こそがデンマーク語だ」と言えるのだ。

その時は困ったけれど、今は、なんと豊かなことか、と思う。 ためしにアスコウの発音で言葉を発してみると、あの空の色、林を抜ける風の音、麦畑、牛舎の臭い、鳥のさえずり、土のにおいなどが、いっぺんによみがえる。 一つの言葉にも、その土地のすべてと、自分につながる人たちの息遣いがこもっている。 生まれ育った土地の言葉を大切にするのは、自分の根っこを肯定すること。 そんな気がするのだ。

フォルケホイスコーレで、出身地を聞いてから「どんなところ?」と尋ねると、「デンマークで一番美しいところ」と答える人が多かった。 自分の故郷と言葉を愛し、誇りに思うことができる人たちは、幸せだと思う。

伊藤美好(いとう みよし)

※ 東京新聞の了解を得て、インターネットに公開しています。

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