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教育基本法について


小渕首相発言「教育基本法の見直しに着手する」に思うこと

1999年9月9日の毎日新聞紙上で小渕首相の発言を知り、とても不安を感じました。


毎日新聞9月9日(木)朝刊 『小淵首相「教育基本法見直し」歴史・伝統、愛国心反映へ』

小淵恵三首相は8日、自民党総裁選遊説で訪れた熊本県益城町での 講演で、当面の重要課題の一つとして教育改革を挙げ、戦後教育の 基本法規である教育基本法の見直しに着手する考えを示した。現憲 法の精神に基づく教育基本法は1947年の制定後、一度も改正された ことがない。首相は、国旗・国歌法の制定を踏まえ、「歴史・伝統 の重視」「愛国心・道徳教育」などを色濃く反映させた改正を目指 すものとみられる。

首相は「21世紀を前にし、解決しなければならない種々の問題があ る」と述べたうえで、秋の臨時国会で中小企業基本法改正に取り組 む考えを改めて表明。加えて「教育に関する基本法の問題もあろう かと思う。さらに憲法がいかにあるべきかという問題もあろうかと 思う」と述べ、憲法改正と並んで教育基本法を重視する考えを示し た。

 教育基本法は戦前の教育勅語に代わる「教育憲法」的な位置づけ で制定された。教育の目的や方針など11条で構成しているが、「真 理と平和を希求する人間の育成を期する」を掲げるなど現憲法を反 映しているため、かねて自民党内に「愛国心教育の足枷」などの不 満が出ていた。


 私が人にしろ、物にしろ、何か大切にしたいと思うとき、その気持は一体どこから 来ているのだろうと考えてみます。身近なところで、父母、兄弟、連れ合いや子ども たち、そして友人達。

 特に何か同じ方向を目指して行動を共にしている人々だから、というわけではなさ そうです。

 皆それぞれ物の見方も違い、趣味も異なり、やりたいこともバラバラです。 身近な存在であればあるほど、お互いの思いや、行動が影響を与え合いますから、自 分と違う部分がとてもはっきりしてくることもあります。自分にとっていやなことは 相手に伝え、互いに折り合いをつけていく、という過程がとても大事なことになって います。そんなやり取りの中で、意見の衝突もあれば、感情の行き違いもあります が、そんなこととは無関係に、皆かけがえの無い大事な存在だと、私には感じられま す。

 それは裏返してみると、父母、兄弟、連れ合いや子どもたち、そして友人達から、 私自身が在りのままの姿でいて、それでもとても大事に思ってもらえている、そのこ とを私が確かな感覚として持っている、ということになります。

 しくじりを繰り返し、それを認めることが怖かったり、一方的に何かに腹を立てた り、なかなか本音で喋ることに躊躇があったり。そんな私自身を、全てひっくるめて どうも好きでいてくれるらしい。

 そんな人達に育まれて、私自身が自分の存在をも大事に感じているのです。

 そんな人達と日々を過ごしている私の家、隣近所、この地域、そして、遠い祖先が 様々な思いを持って息をしつづけてきたこの日本という国土に対して、私は親しみを 感じるのです。

 私のことなど知るはずも無く、私も全く見知らぬ人々もまた、それぞれに人を愛 し、時に喜び、時に悲しみに打ちひしがれながら地球上の至るところで生きているの でしょう。

 一人一人が大切な存在として生まれ、死んでいく。そこに特別な作為などはなく、 とても自然なことではないでしょうか。

 「人間の尊厳」という言葉は、大事な知識として教え込まれることでもなく、ごく ごく自然な成り行きとして、先ず自分の中にある感覚なのだと思います。  しかもそれなくして、他者の存在を慈しむこと、自然に目を向けること、国に対し て感情を開くことなどありえないと思うのです。

 「自然を大切にしましょう。家族や友達を大切にしましょう。日本の国を愛しま しょう。あなたはそうするべきだし、それが正しいことなのです。」  そのようにコンピュータ入力されたアンドロイドを作り出してしまうことになりは しないか、考えてみて下さい。

「大切」「愛する」という言葉を知っても、それを感覚で知らなければ、「知ってい る」ことになるのでしょうか?

 「感覚」を持たずに、人間は生きる意味があるのでしょうか? 恐ろしいことですが、生きる意味を失い、人間は自滅の道を辿るように、私には思え てなりません。

 もう一度、現行の教育基本法を読んで見てください。 これを見直さなければならない、とは私は感じません。  むしろ、その中に掲げられている事柄を、自分の中にある感覚、そこから生じる思 いと重ね合わせてみると「本当に過不足ないなあ」、と思うし、これだけのものを 作った先人には尊敬の念を持ちます。

 この基本法にたちかえれば、随分「学び」のかたちが柔軟性に富んだ物に変わって いくだろうと思います。 この基本法は、人間が生きる根本「人間の尊厳」、をしっかりと核に据えていると思 います。

1999年9月15日  井上ひろこ




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