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バスジャック・少年犯罪


佐賀県の、石井さんの文章です。

バスジャック・少年犯罪
石井ナオ子


 今回の事件は加害者である彼と同じ県に住む者として、ショックと同時に身近な事件として感じられました。
被害者も、加害者も、私の知人の知り合いということもあり、どちらの心中を察しても、何とコメントしてよいものかと言葉が見つかりません。
しかし、事件当時ニュース速報で流れる「精神科・17歳・無職」の文字に、彼の背景にあるものがすぐに感じられ、それと同時に無責任なマスコミや評論家が発する言葉も想像がつき、いやな予感を感じながら事件を見守っていました。
事件解決後、まったく予想通りのことが連日のワイドショーを賑わせ、あまりの腹立しさにペンをとらずにはいられませんでした。

 少年犯罪が起こるたび、本人に問題があったということで片付けられ、問題の本質を大人たちは直視せず、何も変わらないまま新たな事件が繰り返されています。
彼は何故、こんな事件を起こさなければならなかったのか。
 バスのなかでの彼の言動とは・・・

何かに似ていませんか?
「刺す」を体罰や内申書に置き換えたら・・・・
彼がそういう大人や教師に出会ってきたとしたら・・・

また、彼は、中学の時、いじめを受けています。 
同級生等が、マスコミのインタビューで答えていました。
「からかっただけで怒った」
「怒りっぽかった」と。
マスコミは、こぞって、この同級生の言葉を、繰り返し報道しました。
問題は、彼が怒りっぽかったことにあるのでしょうか?
いじめを受けて、不登校したり、ひきこもったり、あるいは自殺したりすると、世間は弱虫と言う。
 逆にいじめに向かっていけば、怒りっぽいと・・・

いじめを引き起こす社会・学校・家庭に目を向けられないまま、いじめられた側に問題があると言い続ける社会では、子どもたちを救うことはできないでしょう。

 そして家庭内暴力。
何が悲しくて、自分の親を殴ると思います?
親が我が子を思い通りにしようとした挙句に、家庭内暴力に至ることもありますが、学校で、教師の暴言・体罰、あるいは同級生からのいじめで自尊心を傷つけられ続け、一人で悩み、孤独に耐え、精一杯の我慢で自分を保ってきても、それが限界に達したとき、一番身近にいる甘えられる家族、特に母親に暴力を振るう例はたくさんあります。
我が子の苦しみにいつまでたっても気づかない親への訴えでもあるのです。
 暴力を振るう側を一方的に批難しますが、子どもの心の中は「辛いよ・苦しいよ・助けて」と叫び、暴力を振るっている自分に自責の念を感じながらも、そうすることしか残されていないところまで追い詰められているのです。  
しかし、多くの親は、そういった子どもの気持ちを受け止められず、行政や医療の手に委ねてしまいます。
 本人の意思を無視し、強制的に入院させるなどとんでもないことです。
多くの子どもたちが、親から受け入れられず、問題は別のところにあるのに、本人の問題行動として入院させられています。
我が子の悲鳴が届かないのでしょうか。
 残念でなりません。

 最後に、少年犯罪のニュースから、無職・不登校の言葉が切り離せず、あたかも無職だから、不登校だから、事件を起こすというような報道の仕方に腹が立ちます。
子どもたちの受け皿のない社会、学校に行かないことを責め立てる家庭。
いったい子どもたちの居場所は何処にあるのでしょうか。
お小遣いひとつを例にあげても、高校や大学に行けばそれなりのお金がかかります。
 人によっては借金してでも学費を出されるでしょう。
それなのに、学校に行かないという理由でお金を与えない、というのは、あきらかに差別です。
 「学校に行かないなら働いて」と言う親もいるでしょう。
 何故学校に行く子の保障はできて、行かない子の育ち・成長の保障はできないのでしょうか。

義務教育を終えて、進学・就職・フリーターと進路の選択はありますが、ふてぶてしく家に居るというのも選択の一つに加えられないでしょうか。
子どもは自分の歩幅で歩きたいのです。
 世間に合わせて自分を見失うより、自分らしく、自分の歩幅で歩かせてください。
無職・不登校の子すべてか犯罪に走るわけではありませんが、背景にこういったことがあるということを伝えたかったのです。

はじめから問題のある子は一人もいません。
今、ぎりぎりのところまできて、悲鳴をあげている子どもがたくさんいます。
どうか、耳を傾けてください。





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